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なぜ祈りや話の終わりに声を出してアーメンと言うことが大切なのでしょうか。

ロバート・F・クライド、ヘーバーユタ東ステークの会長 アーメンという言葉の使用は数千年前に始まりました。 旧約聖書では,ダビデが詩篇106篇を次のような言葉で締めくくっています。 “イスラエルの神、主はとこしえよりとこしえまで祝福され、すべての民にアーメンと言わせたまえ”。 (詩編106:48.)

モーセを通して、礼拝における像の使用に関して、主は言われた。 「主に対する忌むべきもの、すなわち職人の手のわざである彫像や溶けた像を造って、それを秘密の場所に納める者は呪われよ。 そして、すべての民は答えて、「アーメン」と言わなければならない。 (申命記27:15)

時の子午線において、救い主は主の祈りをアーメンで閉じ、パウロはそれをコリントの人々に教えました。 (1 Cor. 14:16.)

十二人評議会のブルース・R・マッコンキー長老は言いました。 “この用語が聖書に見られる例はおよそ10件、モルモン書にはその2倍近くあり、教義と聖約のほぼすべての啓示がこのように閉じられています。”と言っています。 (Mormon Doctrine, Bookcraft, 1966, p. 32.)

今日の主宰者である兄弟たちは、次のように助言しています。 「祈りと講話の終わりにアーメンと声を出すことが、教会の会衆の間で著しく減少していることが明らかです。 アーメンはすべての会員が声を出して、語られたことに同意し、承認したことを示すべきである。 アーメンに参加することを再度強調することが、教会全体のすべての集会やミーティングで必要なのです。 (Priesthood Bulletin, October 1973, p. 4.)

祈りと説教の最後にアーメンをするようにという指導や助言がある中で、私たちはこの慣習の背後にある理由を再発見する必要があります。 多くの人はアーメンと言うとき、単に同意しているか、「そうであるように」という言葉を表現していると感じていますが、実はそれ以上の大きな意味があります。

基本的に、神の聖徒は契約を作る人々です。 洗礼のとき、聖餐にあずかるとき、神権を受けるとき、エンダウメントを得るとき、そして永遠の結婚の結び固めのときに、契約に参加するのです。 会衆がアーメンという言葉を口にするのは,誓約の一形態です。これは,語られたことに同意することを声に出して表明するだけでなく,教えられた原則に従うことを約束するものです。

もし私たちが、声を出してアーメンと言うことによって自分自身の遵守を確認する何らかの義務が私たちの上にあることを認識して説教や祈りを聞くならば、いくつかのことが達成されるであろう。

まず、私たちは言われていることにもっと集中するであろうし、以前に理解し契約した原則への参照を聞くとき、私たちの側でより大きな再献身が行われるであろう。

第二に,しばしば従順の誓いを立てることができるようになります。「従うことはいけにえにまさり,聞き従うことは雄羊の脂肪にまさる」と言われたのは神です。 (1 Sam. 15:22.)

第三に、わたしたちのアーメンを合わせることは、会衆の中に一致と親密さを育て、わたしたちの人々の間に霊性が高まる。

アーメンと言うことは、神にとって十分と思われ、したがってわたしたちにとって説得力がある理由から、霊感を受けた指導者の勧告に従うということである。 そのような道筋は、これまでも、そしてこれからも、私たち自身の幸福を増大させるであろう