ラザロの復活の後は?
四旬節第5日曜日のヨハネの福音書の朗読では、イエスによるラザロの復活の物語が語られています。
ジョヴァンニ・ディ・パオロによるラザロの復活
イエスがラザロを蘇らせたという報告は大祭司カイアファに届き、彼はこの話を悪く受け取り、イエスが現状をひっくり返すものだから始末しなければならないという判断に大きく寄与したことは間違いないだろうと思います。
ヨハネ12章には、多くのユダヤ人が復活の出来事によって改心し、イエスに従っていたので、祭司長たちはラザロをも殺そうと計画していたことが記されている。
東方正教会は、ラザロと彼の姉妹マリアとマルタがユダヤを離れてキプロスに渡り、ラザロはキティスの初代司教となり、復活してから30年後の西暦63年に自然死したと教えています(キプロスの聖エピファニオスによれば、キプロス司教はラザロと同じように復活を遂げたとされています)。 ラザロの墓は、現在のラルナカ市にある。 ラザロの遺骸は、ビザンツ皇帝レオ6世の命によりコンスタンティノープルに移されたが、十字軍によるコンスタンティノープルの略奪後、歴史から失われた。
その後、フランク人がマルセイユに遺骸を持ち帰ったという話である。 しかし、1972年にラルナカにある教会の修復師が、聖なる祭壇の柱の下から骨の入った石棺を発見したことから、この物語にひねりが加えられることになった。 その石棺には「友」という文字が刻まれていた。 この発見は、やはり聖遺物の一部がキプロスの墓に残されていたという伝承を裏付けるものとなった。
西方教会では、ラザロと姉妹がマルセイユに来て福音を伝え、そこでラザロが司教となったということになっている。 黄金伝説-Jacobus de Voragineによる中世の聖人の生涯の編纂-によると、ラザロはドミティアヌス帝によるキリスト教迫害の際に捕らえられ、首をはねられたとされている。 彼の遺体はフランス東部のオートゥンに運ばれ、そこの大聖堂の下に埋葬され、頭部は聖遺物としてマルセイユに残されたと言われている。
Mystagogy and The Straight DopeのJohn Sanidopoulos氏に情報提供をお願いした。
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